「aosis recording studio」に至るまで
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シンセサイザーの普及
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| ほかのページでもふれられていますが、那由多はもともと新川博のマネージメントオフィスとして1988年10月に設立されました。当時の音楽業界は、シンセサイザーの普及によって、いわゆる「打ち込み」サウンドが音楽を創る上で非常に重要な位置を占め、多くのミュージシャンやアレンジャー達が、数多くのシンセサイザーをレコーディングスタジオに持ち込み、レコーディング作業を行っていました。シンセサイザーを使用して音楽を創ることによって、それまで多くのミュージシャンをスタジオに呼んで演奏をしてもらっていた状況から、一人のアレンジャーがコンピューターに向かって各楽器を打ち込んでいくスタイルへと状況が変わっていったのです。 |
| 「naUta MidiRoom Studio」開設 |
多くのスタジオミュージシャンに演奏をしてもらう形態からアレンジャーが「打ち込み」をする形態に変わったことで、音楽制作の上でミュージシャンに対するコストはかなり低くなりましたが、その反面、「打ち込み」に対してのクオリティーが高く要求され、結果としてレコーディングスタジオの使用コストが多くなっていきました。当時はいわゆるバブル絶頂期で、レコーディングスタジオの使用料は一日30〜50万円ほどでした。
この頃、アレンジャーとして毎日都内に数あるレコーディングスタジオを行ったり来たりしていた新川氏は、この状況に対して疑問を感じるようになってきたのです。「レコーディングスタジオに行って打ち込みをするのなら、自分でそのスタジオを作ってそこで作業をすれば、移動時間も節約できるしスタジオのコストも下げることができる。そのうえ、自分のスタジオであれば、居住性も最高のはずだ」と。このような経緯で、現在の「aosis recording studio」の前身である「naUta MidiRoom Studio」を開設することのなったのです。
レコーディングスタジオに必要な物をおおざっぱにあげると、「コントロールルーム」・「録音ブース」・「ミキシングコンソール」・「録音機器(テープレコーダー)」・「マイクロフォン」といったところでしょうか。これらすべてが、「naUta MidiRoom Studio」には用意されていました。規模こそ違う物の、レコーディングスタジオとしての機能はすべてそろっている状態でした。ですから、よほど大きなセッションでない限り、すべての作業を行うことができ、そして最終的にテープに録音した状態で納品ができる環境にあったのです。このことは、クライアント側から見ても非常に画期的な状況でした。 |
| 「aosis recording studio」へ |
2度の引っ越しをへて現在の場所にスタジオを開設することになったわけですが、その間にレコーディング業界は大きく変わっていきました。デジタル機器の進歩によって、録音機材が非常に安く手に入れることができ、そして高クオリティの作品を作ることができるようになったのです。その代表的な機材は、「digidesign」社の「ProTools」です。この機材の登場によって、安価にプライベートスタジオを作ることができるようになりました。新川氏が10年前に考え、作ったプライベートスタジオという形態が、今や業界全体の流れとなったのです。
新川氏は、この10年間自分のスタジオをどのようにしてきたかというと、のほほんと最初のままにしていたわけではありません。常に最新の機材や技術に興味を向け、時代の変化に対応してきました。「ProTools」も、あまり知られていない時代から使い続けています。
「sosis recording studio」は、充実した機材と快適な環境で、新川氏の音楽制作における中枢を担っています。現在が完成形ではなく、今後も時代の変化に伴って、さらなる発展を続けていくことでしょう。
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(by 下山 由多可)
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